田中 晴樹

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 私は、北海道の最東端、中標津町という町からやって参りました。。
 名前は田中晴樹と申します。現在47歳です。

 本日は平成9年にビザ無し交流で択捉島に行ってきた時の体験を元にお話いたします。

 中標津町は人口23000人、牛の数が40000頭という酪農の町です。
道路には、牛横断注意や鹿横断注意などの看板もあり、観光客をびっくりさせています。

 その観光面では、視界330°という開陽台があります。
 開陽台から見える北方領土、なぜあそこが北海道の一部ではないのかが疑問に思うほど近くに見えるのです。私たち北海道の東に住む人間は、近くて遠い島、それが北方領土という認識でした。

そして父が育った島、択捉島・・・・その島はさすがに中標津からは見えませんが、いつか行ってみたいという思いは、ずっと抱いていました。
 そんなふうに思っていた時に、チャンスは巡ってきました。その時父は脳梗塞により車椅子での生活でしたが、代わりに私が行こうと決心しました。その父も領土返還の夢は見ることなく、2年前に他界してしまいました。

 父から聞いた択捉島は、鮭が豊富に捕れ、川が魚だらけになり、棒を差し込むと、その棒が立ったまま動いて行ったらしいと言うことです。冬は鮭の皮がスパイクの代わりをしていたそうです。私は子供のころに、このような父の話を半信半疑で聞いていたような気がします。
 いろいろな思いを胸に、出発の日が来ました。根室の花咲港を出発、13時間かけて択捉島の内岡に到着、そこから30分かけて紗那の行政府を訪問いたしました。現在はわかりませんが、当時、島には舗装道路が1ヶ所もありませんでした。島の雰囲気は私が生まれた昭和30年代の北海道の田舎のようでした。

 行政府を出て、一行は天寧というところに向かいました。ここはソ連の軍事施設があったところで、訪問団の視察が許されるのは初めての場所でした。
 天寧に行く途中に、なんと父の育った留別村がありました。ありましたというより、存在していませんでした。通訳の人に聞くとあそこが留別村の跡地だと言われ、がっかりして気持ちが萎えてしまいました。

バスに揺られること1時間半、今では廃墟と化した天寧が見えました。ここには日本の墓地があるということでしたが、それらしき物は見当たらず、とりあえず黙祷をささげ、民間飛行場へと行きました。そこはブロックが敷かれた滑走路で、本当に飛行機が発着しているのかと思うほどひどいものでした。当時は軍事大国だったロシアの面影はなく、壊れたミグ戦闘機の残骸がそれを物語っていました。その後、ホムスティ先のガリーナさん宅へ向かいましたが、途中の川では、鮭が群れを成して飛び跳ねておりましたが、父から聴いていたほどの魚の群れは発見できませんでした。

 ガリーナさん宅ではロシア語のハンドブックを片手に沈黙が流れることの繰り返しでしたが、途中、通訳の人が来てくれて30分ほど会話が進みました。しかし、ホームステイ先では領土問題にはあまり触れないよう言われていたため、立ち入った話はほとんどできませんでした。

 翌日は紗那の町で博物館、地震で壊れた診療所(当時、日本企業が修復中でした)、アメリカ企業により建設中の学校等を見学して、別飛村へ向かい、幼稚園を視察しました。子供たちが歌ってくれた「上を向いて歩こう」が訪問団を楽しませてくれました。その後、水産加工場を視察しましたが、この工場は択捉で一番活気があり、ベルトコンベアーに追われながら必死に働いている姿が印象的でした。
 その後紗那に戻り対話集会へと向かいました。たくさんのロシア人が出迎えてくれました。その中で戦前から住んでいるという老人が「なぜ、日本人は外国軍を配備しているのか?」「領土が日本に戻れば、あっという間に魚が乱獲されて、居なくなってしまう」「この問題は子孫が解決してくれる」というような発言がありましたが、それこそが今まで領土問題を先延ばしにしてきたロシア人の本質があると感じました。

 なぜなら、今までほんの少しでも、この領土問題が発展性のある話し合いになりかけた時には、必ずと言っていいほど棚上げにされたり、または指導者が変わって元に戻ってしまうことの繰り返しです。

 特に当時のロシアの大統領はエリツィン大統領で、故橋本首相とは大変友好的でしたので、日本でもこのエリツインさんの時に何らかの解決をと意気込んでおりましたが、結局、今はプーチン大統領になり、領土問題は進展どころか、後退してしまったような感じもあります。特に昨年暮れのプーチン大統領と小泉首相の会談において、領土問題すら話題に出さなかった小泉首相にはほんとにがっかりせられました。

 現在私は、根室管内一市四町(根室市、別海町、中標津町、標津町、羅臼町)の千島連盟の青年部で構成される千島連盟根室管内青年部連絡協議会と組織に属し、毎月1回の定例会議に参加して返還運動のあり方等を協議しておりますが、そこで問題になるのは、2島返還論ですが、皆さんに誤解の無いよう申し上げますが、これはあくまでも、ロシア側が4島の帰属問題に対して日本の領土だと言うことを認めたうえで、じゃ先に2島を返すかという時には応じますが、2島だけ返して終わらそうとするロシアの論理は到底認められないということになります。

 また、一世の方々が大変高齢化する中で、私たち若のもがこの返還運動を引き継いでいくわけですが、わが国の場合、案外学校教育の場において詳しく教えられていないという現状もあり、元島民一世の方に語り部事業として学校に赴き生徒に当時の話をして頂だいたり、ピザ無しで使われる船に子供たちを乗せて、船上で領土問題の勉強をしたりというような活動をして、少しでも世論の関心を高めたいと思ってやっております。

 今日お集まりの皆さんにも、この領土問題は私たち元島民だけの問題ではなく、不当に国の主権が侵されており、私たちの国の領土を取られたのだという認識に立って考えていただきたいと思います。そして返還運動が国中に波及すること念願しまして、私のお話を修了させていただきます。

本日は誠にありがとういございました。

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