舘下雅志(2011.07.08)

 こんばんは、只今再びご紹介を頂きました、社団法人千島歯舞諸島居住者連盟中標津支部青年部 部長であり、社団法人千島歯舞諸島居住者連盟根室管内青年部連絡協議会会長の舘下雅志です。

 日頃より皆様には、北方領土返還要求署名には、いつもご理解とご協力を頂きありがとうございます。この場をお借りして、心からお礼を申し上げます。是非、本日も署名をお願いするところです。

 私の所属する会は、北方領土元島民の子供や孫たちで構成されている後継者で返還運動をしている団体です。会の名称を覚えて頂けたでしょうか。

 「社団法人千島歯舞諸島居住者連盟根室管内青年部連絡協議会」

 漢字で書くと27文字、ひらがなで書くと52文字です。 何と、長い会の名称なのでしょう! 落語のじゅげむ じゅげむではないのですから。 よくお店で領収書を頂く時などは、いつもご苦労、ご迷惑をお掛けいたしています。

 現在中標津支部青年部は34名、根室管内青年部連絡協議会は260名で活動をしていますので、是非組織の名称を覚えていただければ幸いです。

 さて、本日皆様の前で北方領土のお話をすることになり、地元と言うことで、恥ずかしさと大変緊張をしています。

 三遊亭金八師匠の北方領土落語はいかがだったでしょうか。さすが噺家さんですね。

 三遊亭金八師匠の後と云うことで、「北方領土と掛けてパソコンと解く、その心は、どちらも返還が必要です。」

 私も気持ちを変換し北方領土の語り部を始めさせていただきます。 上手に伝えることが出来ないかもしれませんが、一生懸命話をしますので、どうぞ少しお時間をいただきたいと思います。

 私が北方領土に携わったのが、23歳の頃(昭和57年)現在中標津林業?の樋木社長さんに、元島民後継者の勉強会があるので、誘われたのが始まりです。当時は外務省や北方領土の評論家の講演を聴き、後継者同士の親睦を深めるのが目的だったと思います。温泉とお酒が好きな私にとって嬉しく参加をしたのを覚えています。

 その後、平成4年より北方領土ビザ無し交流が始まり、平成5年10月に国後島古釜布に行きました。このビザ無し交流に参加したのが、私の返還運動の始まりと言えるでしょう。

 本来ならば、母がビザ無し交流に参加し、生まれ故郷の国後島古釜布へ行きたかったのですが、心不全で体にペースメーカーを入れていために、参加することが出来ませんでした。故郷の思いを息子の私に託し、島へ行き写真を撮って欲しいと頼まれたのが、私のビザ無し交流の参加の動機でした。

 私の母は、北方領土・国後島・古釜布の生まれです。

 昭和9年に生まれ、14歳まで古釜布で暮らしていました。兄と二人兄妹で、祖父の馬之丞は林業(盆栽業)高山植物などを採取し販売、祖母のナミは豆腐屋をやって生計を建て暮らしていました。

 古釜布に一軒しかない豆腐屋だったので、母は豆腐屋の京ちゃんと呼ばれ、幼児期を川や浜辺で遊んだり、家向かいにある芝居小屋に行って楽しく遊んでそうです。

 国後島の生活は、世界三大漁場であったので漁業が大変盛んでした。昆布や魚介類が豊富に採れ繁栄し、島の生活は豊かだったそうです。しかし、その生活も終戦で変わることとなりました。

 それはソ連軍の北方四島への侵入です。

 昭和20年8月15日終戦、その一週間前、ソ連は日ソ中立条約を無視して連合軍に参戦しました。昭和20年8月18日ソ連軍が占守島に上陸、徐々にソ連軍が南下し、昭和20年8月28日に択捉島にそして9月5日までに国後島と色丹島にまで侵入して来ました。

 それもそれも、ソ連軍は北方四島にアメリカ軍がいないことを確かめてから侵入し攻めて来たのです。なんてズルイ国なのでしょう。これこそ不法占拠でありませんか!千島群島で戦っていた日本軍は、終戦だと知りながら領土を守るために頑張ってくれていたそうです。心より感謝を申し上げます。

 9月1日国後島にもソ連軍が侵入。数日には母が暮らしている古釜布にもソ連兵が来ると聞き、村人や祖父・祖母は若い女性や女の子が危害を受けないように、髪の毛を切、男の子の服を着せたそうです。私の母もそのようにしたと聞いています。

 そして、ついにソ連兵が母の家に来ました。

 ソ連兵は鉄砲をぶら下げ大きな声で同じ言葉を何度も何度も叫んで家に入ってきました。体は大きくて、髭をはやし大変恐ろしかったそうです。もちろんロシア後なので、何と言って来たのか解りません。

 「ヴャダー・ダァ・ワィ」「ヴャダー・ダァ・ワィ」は何を言っているのか解りませんでした。すると一人のロシア兵が炊事場にある水を飲むと、連呼をするのを止めました。後で知ったのですが、ソ連兵は「水を下さい」と母の家に入って来たそうです。島の気候も、ここ道東とほぼ同じなので、その日は大変暑かっただと思います。

 それからは、ソ連兵に母の家の居間を取り上げられ、母や祖父・祖母は小さな部屋で強制送還の日まで2年間暮らしたそうです。母の家に来たソ連人は、日本で言うと警察官のような仕事を島で行なっていました。母のソ連人の印象はそんなに悪く、よくチョコレートをもらったり、ロシア語を教えてくれたと聞いています。

 しかし、祖父や祖母はソ連に家を獲られ、島を獲られ、捕虜同然の2年間の生活では、一度も気を許すことが出来ませんでした。ソ連に島を占拠された、元島民はいつも監視されながら生活をしていましたので、多くの人が命がけで島から逃げ出しました。島の脱出に見つかり射撃され亡くなった元島民もいると聞かされています。故郷を奪われ、島を後に逃げ出してきた元島民の気持ちを考えると、胸が痛い思いです。

 そして強制送還(引き上げ命令)の日が訪れました。残された元島民9,586人が、風呂敷包み1つでソ連の大型貨物船に荷物のように扱われ乗せられました。港のハシケから、船に乗る時も、大きな網のモッコに入れられ、大人でも死に物狂いだったそうです。樺太経由で函館に帰りさせられました。この日より、北方領土はソ連に完全に占拠されました。

 その後、汽車で根室の親戚を訪ねましたが、根室は空襲で7割ほど街が焼け、尋ねた親戚も空襲に遭っていて、引揚げ後の生活はとても厳しく、辛い暮らしが続いたそうですが、親族力を合わせて乗越え、現在があるそうです。この生活苦難は、島から引揚げてきた元島民すべてが経験したのではないでしょうか?

 

 北方領土には17,291人の島民が暮らしていました。しかし、現在島民は8,000人を切ってしまいました。元島民の平均年齢は76歳と高齢化し、今まで中心として活躍してきた返還運動も変わろうとしています。その中で後継者の2世・3世に期待をされていることは、充分承知しています。本日開催している、北方領土寄席も、私たち後継者の新しい返還運動として頑張っている所です。

 今、千島連盟は、北海道に13支部、富山支部、関東支部を入れて15支部で構成されています。その中、青年部がある支部は10支部となっています。又、根室管内の5支部の青年部が、何か出来ないかと、平成15年に社団法人千島歯舞諸島居住者連盟根室管内ら青年部連絡協議会を設立し、北方領土に隣接している地域からもっと返還運動の輪を広げようと頑張っている所です。

 青年部連絡協議会の活動は、

北方領土青少年洋上セミナー 7月24日 羅臼町

北方領土返還要求後継者全道キャラバン隊 8月下旬 稚内発

後継者だけで行くビザ無し訪問

後継者組織活動全国会議

北方領土問題現地青年の集い   11月予定 別海町

 中標津支部青年部は、

北方領土寄席

北方四島ビンゴ大会 8月中旬 夏まつり会場

北方領土ネット検定(初級・中級・上級)などを行なっています。

 

 結びとなりますが、戦後65年間、元島民は「島を返せ」と叫び続けてまいりました。しかしながら、元島民の半数以上は返還の見通しもたたずに、島の返還を念じながらこの世を去っていきました。私の母も今年76歳です。そう考えると返還運動に自分自身焦りさえ考えます。

 北方領土の四島返還は千島連盟・そして日本の念願です。先輩・先人が今まで続けてきた返還署名運動はもちろん、後継者が持っている行動力と知恵を結集して、長く返還運動を続けることが、国民の心や世論を動かすことが出来ると信じています。

 日露中立条約を破棄し、奪われた北方領土!

 アメリカ軍が北方領土にいないことを知って、侵入してきたロシア!

 暮らしていた元島民を北方領土から、本土に強制送還をしたロシア!

 そして元島民が暮らしていた故郷は、今も無い!

 ロシアの北方領土の不法占拠は絶対許されない!

 この悔しさを想い、これからも島の後継者として返還運動を続けてまいりますので、これからも更なる、ご理解とご協力をお願い申し上げます。

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